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20年目の手紙  重いので注意!

今日の日記は重いです。しかも長いです。そんなのが苦手な人はスルーしたほうがいいかも・・・




















1989年2月24日。昭和天皇の大喪の礼で公休日になったあの日。もしあの日がカレンダー通りの平日やったら、もしあの日雨降りじゃなかったら、オマエはまだ生きてたんやろか。なぁサトウ。

オマエと初めて会うたんは、二人の家の丁度真ん中にある模型屋やったね。まだ小学6年生。学区が違うから変な対抗意識があったけど、仲良くなったらそんなん関係なかったね。学校終わったら模型屋で集合、まだゲイの意識が無かったから、変なポジションの友達やったなぁ、オマエは。ガンプラブームのまっただ中、どっちが先に新製品手に入れるかしょーもない毎日やったなぁ。中学入ってから覚えてんのは、その模型屋主宰のサバイバルゲーム。明け方の商店街とか、南港行く途中の廃工場とかね。まだ実家に置いてあるのかなぁ、コルトローマンとガバメントとデリンジャー。オマエはチーフスペシャルやったっけ。

そのうち俺が絵描くようになったんやね。覚えてんのは、へったくそな漫画の似顔絵を、自分の部屋の壁に貼ってた事。「いつか有名になったら、この絵高く売れるかなぁ」多分ね、ムリ。そのころやったかなぁ、俺が他の男友達と関係持ったのは。別に恋愛感情なんか無くて、ただただオナヌーより気持ちいいってだけの関係やったけど、それをね、オマエとやってみたかった訳よ。でも手出せんかった。気が付いたらオマエを好きやったんや。

ごついクセに気弱なとこが。

大げんかして何日も会わなくなって、そしたらお土産持って現れたよね。あん時言わんかったけど、俺もあやまりに行こうか悩んどったんよ。だからオマエが来た時は嬉しかった。まだそんな感情を出すことが恥ずかしかったから、クールなフリしてたけど。

高校も別々、俺は絵の勉強する口実で私立のデザイン学校へ、オマエは工業高校へ。んでオマエはバイクにはまるんやね。最初の原付はリードSSやったなぁ。黒ベースで赤色の。夜中二人で街ウロウロすんのに、オマエは原付ノロノロさせて、俺は自転車やったな。誰もおらん道を、オマエに押してもらって猛スピードで走ったのを覚えてる。

就職も別々、オマエはヤナセに、俺は照明器具のデザイン設計に。20歳になったら二人で部屋借りて、気ままに暮らそうって言うてたのにな。1989年の夏ぐらいにって。

89年の成人式、仕事が忙しくてなかなか遊べなかったオマエと、何ヶ月かぶりで会うたんやね、あの日。紋付き袴似合うてたよ。5月生まれのオマエは一足先に20歳。俺はまだ19歳。ビデオデッキの調子が悪いから、時間できたら見に来てって言われたのに、行けなかった事が今でも心残りや。それがオマエと最後に会うた日になるなんて、思ってもなかったから。

1989年2月23日、オマエは仕事終わった後、バイク仲間と二人で岡山のサーキット行くつもりやったんやてね。次の日が大喪の礼で休みになったから。軽のワンボックスにバイク載せて、夜中家出て明け方向こうに着くはずやったって、お父さんから聞いた。でもなぁ、眠かったら車止めて寝なあかんで。電柱に直撃やったんやてなぁ。普通助手席の方がヤバイはずやのに、運転してたオマエだけが逝ってしもて、友達カスリキズやったやんか。

25日、休み明けで会社に行ったら、珍しくオトンから電話があってビックリしたわ。最初は全然信用してなくて、オマエの家入って二階上がって、棺桶見ても信じられんかった。顔以外は布でくるまれてて、顔には細かいキズがいっぱいで、両目にはガーゼがテープで固定してあった。それでもね、寝てるんやと思ってた。遺品をもらうとき、俺の知らないオマエの友達連中がいろんな物を持って行くのを、悔しく思ったのを覚えてる。その日は土曜日で通夜、翌日曜日が葬式やったね。お父さんが言うてたよ。日曜日やったら人もぎょうさん来てくれるやろなぁ、さびしがりやったから、こんな日にしたんやろかって。それに友達がカスリキズ程度やった事も、お人好しやからなぁって。ホンマ、あほやな、オマエは。

通夜が終わって家に帰って、自分の部屋のこたつにオマエのドライバーズジャケットとグローブを置いたとき、なんでかその時初めて実感したんや。涙がボロボロ流れて、自分でビックリしたわ。その時思ったんよ。幽霊でもええから、ここに出てこい。オマエやったら怖いことないからって。

葬式の事はあんまり覚えてない。前の日の雨がウソみたいに天気になってて、明るい部屋でお経が聞こえてたことと、出棺で棺桶持ってくれって言われた事ぐらいしか。それから半年ぐらい、ふさぎ込んでたらしいけど、それも覚えてない。多分そのころに吹っ切れたんやろな、一人暮らし始めたから。

89年秋、一人の部屋で描いた絵が認められて、雑誌に載った。それから20年、まだやってる。


だからあの日がカレンダー通りの平日やったら、もしあの日雨降りじゃなかったら、今でもオマエは俺の近くにいたのかなぁって思う事があるんよ。あのまま夏に部屋借りて、きっとオマエに彼女出来て、おそらくデキちゃった婚。コレ自信アリ。23ぐらいで結婚して、友人代表でスピーチして、子供生まれましたとか、年賀状で写真入りの家族写真見て、オマエも早く結婚しろとか言われて。今頃高校生の子供抱えて仕事して、たまに酒飲んだりしてたのかなぁって。そうなったら多分今の俺は、戎橋政造は存在しなかったんだろうなと。それぐらいの転機だったんよ。

雑誌デビュー20周年、それはオマエがいなくなって20年って事。これはずっと続く事なんやな。あの日オマエが言うた、いつか俺が有名になって、昔の絵が高く売れるって話、まだまだ実現できてないけど、いつか必ず約束は果たすから。今ちょっとでもスキルアップできるように毎日がんばっとるよ。頭いたかろうが手がいたかろうが、描き続けとるよ。

今月発売になった本に、その思いをすり込ませた漫画描いた。内容はもう原型とどめてないコメディやけど、登場人物が最後に言う言葉、
「いつか俺がそっちに行ったら、また逢おうな」
ってのはオマエに向けた言葉やから。ホンマにね、もういっぺんオマエに逢いたい。オマエがいないこの20年、何してきたのか、何考えてきたのか、じっくり話したい。どれだけオマエのこと思ってたのかって。

長なったね。若い頃には照れて言えんかった事も、もう言えるトシになった。って言うか言わなきゃいけない言葉があることがわかるトシになった。ガッタガタのカラダやから、この先何年生きられるかわからんけど、オマエの分までがんばっとるからね。


いつか俺がそっちに行ったら、また逢おうな!


            サトウへ


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by ebisubashi1969 | 2009-02-23 10:56 | 日々極悪日記
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